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かきたまじる

このブログは薬研沼どっぷりなガチャ好きのお子ちゃまがお送りします

アクセス解析の記録

なにやらアクセス解析をブログ記事として残しておくとよいそうだから、残しておこう。

 

しかし、はっきり言えば、私は書きたい。だから書く。SEO?集客?収益?…そんなんは知らん!!!というスタンスのはてなブロガーである。

 

このモチベーションだけで、5年もやってきた。ずーっと書く。書き続ける。書くのは三度の飯より好き。ていうか常時脳内で文章生成してるくらい書くことへのウェイトは自分の中で大きい。

 

しかし、全く興味を持たなかったわけでもないので、(清々しいまでの前言撤回である!)ちょっとしたSEOの知識とか、プロブロガーになるためにはとかいうノウハウ、イケダハヤトさんはじめとしたブロガー界隈で人気のある御仁のブログ、なんてものはちょくちょく見ている。実行はなに一つしてないが…唯一やったのはGoogleアナリティクスぐらいだが、それも使い方がいまいち分からず放置気味だ。

 

さて前置きが長くなったが、今のアクセス解析によると、

 

今日127

今週817

今月1114

合計28411

 

であった。この数字がすごいのかすごくないのか、分からなかったのでググったら全然すごくなかった。1日100pvがやっとの弱小です。

 

……気にしませんよ。だって見られるために書いてるわけじゃないしな。一部検索を意識した記事もあるっちゃあるんだけど。

 

ちなみにここまでの総記事数は699、ブログ日数は547日でした。おお。なんか、圧巻。だいたい一月に10は更新するから、3年後くらいに1000はいきそうだ。

ノ・ゾ・キ・ミ・テ

ツイッターを見たいが、見てることを悟られるわけには、いかなかったのだ。

 

私は友人と魔法先輩のツイッターをこっそりと、ふと思い出した時に見ている。ただ、たまに先輩のほうは鍵がかかるので見れない。さらに最近は、どうも、フォローを整理したらしく、いつも使っているルートでたどりつけなくなったため、難易度が上がった。

 

なお、ストーカーではない、ということをことわっておく。あくまで、昔、いろいろあっていなくなった先輩がどうしてるか気になるだけだから。ちなみに私は、自分とその先輩がフォローしているアカウントを経由して先輩に辿り着いていた。が、先輩はどうやらこのアカウントを春先にリムったようで、それができなくなった。なので、先輩のあだ名をツイート検索し、先輩とよくつるむツイッターのフォロワー経由で先輩を発見した。

 

この執着っぷりを見て、ドン引きした方もいると思う。でも、ま、最近はやってない。

…え?なに?そのかお?さーてーはー、信用してないな?ほんとだよ?

 

もう一人の友人の方だが、このひとは更新の通知ばかりで面白いことはなに一つ書いてない。が、そこはそれ。私は過去ツイートをすべて遡って見たが、時々、ほう、ということが書かれているからまあ、面白いっちゃ、面白いんだが。更新通知先はアニメの話でなに一つ元ネタ分からんが、読んでみるといつもの彼ワールド全開でなんか面白い。読んでるとなんか、彼がそこで話してるかのような錯覚さえ覚えるので非常に臨場感があり、面白い。

 

さてこの友人さんをですね、私昨日思い切ってフォローしてしまいました。どうせそんなに見てなかろう、ツイッターなんて!…と思ってたらしばらくしたあとフォロー返されましたなんてことだ。

 

まあ、大丈夫大丈夫、ツイートでブログに言及してるけど、ブログのアドレスは載せてないし…まあ、このブログ、私のハンドルネームで検索すると一発で出てくるけど、彼にそんな脳はないだろう。見られたら見られたらで、それはそれだ!!!!

あと、ふだんのツイートぶりに引かれないことを願うだけだ。

 

 

 

 

さっき検索で出ることを確かめるついでに、私が三年前に書いた恋愛ものを読んでたのだが これは…この、八千代さんとキングさんのペアは本当に本当に…私の恋愛への理想の全てがつまってんだな…と再確認してしまった 

 

今文章書きたい欲がやばい

なのにエントリーシートは1文字も進まない

なんだこの 矛盾は

よってブログとツイッターが火を噴くよ

マイノリティ系女子

痩せた。

 

 

やばい。世の中の女性陣は何を言ってんだ、嬉しいことじゃないか、と思うだろう。が、違うのだ。そういうことじゃない。痩せたいと思う女子がマジョリティなら太りたいと思う女子もいるのであって彼女たちはそのマイノリティに属している。そして私はそんなマイノリティ女子である。

 

年々体重は落ちていっている。BMIは小学生一年生の時に「ふつう」を記録したのち、「やせすぎ」しか記録しなくなった。そして、2年前はマイナス3キロ、1年前はマイナス1キロ、今年はさらにマイナス1キロである。このままのペースで体重が減っていくと、来年は体重が笑えないレベルになる。骨になるかもしれない。

 

「羨ましい」という女性も少なからずいるだろう。だが、体重が意識しているわけでもないのにどんどん落ちていくというのは決して喜ばしいことではない。適正体重にとどまれていること。それが一番良いことなのだ。そもそも、肉なんてものはほどよくついているのが一番いいに決まっている。だって抱き心地その方がいいでしょう?

 

無論、原因は勘付いている。日頃のめちゃくちゃな食生活だ。寝坊して朝飯抜きは日常茶飯事。昼のみ夜のみ、1日1食、食べてもソイジョイファミチキだけ、なんて日もざらである。

 

ちゃんと食べねばと体重計に乗ると思うのだが、その翌日、晩御飯はカラムーチョだった。食え、ちゃんとごはんを食え。何のために納豆なんか買ったんだ、ボケが。

 

朝起きて、スマホを見ていると、時たま手指が、意思とは無関係に震える。なんだろうと思って検索する。甲状腺?…そういや健康診断でも、そんなこと言われた気がするような。しかし、痩せる以外に該当することがなかったため、違うだろう、ちゃんと食べましょうで終わった。

もし近い将来、私が病魔に倒れたら、この日記を思い出すことでしょう。

 

 

スクイーズなんて目じゃないのよ

スクイーズのガチャガチャは、わりとありふれている。

 

スクイーズとは何かというと、むにっとした触り心地良い発泡ウレタンの人形のことである。

 

私も最初にスクイーズに触れたときの驚きは、ありありと思い出せる。

 

たしかキャラクターのストラップだったか。やわらかストラップと書いてあるそれを手に取り、むにん!と手で握ると、むにん!という、未知の感覚が私を襲った。むにっ!むにむに!と、握ると「むにむに」と返される。その心地よさたるや、何にも例え難いものであろう。

 

しかし、スクイーズと言っても、「むにむに」に個性があるわけではない。スクイーズがスクイーズである以上、「むにむに」はどれも同じ「むにむに」なのである。フルーツの形をしてようがパンの形をしてようが、そこには同じ「むにむに」しかないのである。つまり、「むにむに」耐性のできた私に感動をもたらす「むにむに」は、もう、ないのだ。

 

私はさらなるむにむにを求め、ビーズクッションなどに手を出していくが、それはまた別の機会に話すとして、まあ、かれこれこういう理由でスクイーズなんて目じゃなかったのだ。

 

ところがそんな私の心を射止めたスクイーズがある。それが少し前に発売された奇譚クラブつるんと あざらしらたま ふにっとマスコットである。

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イチゴ味のあざらしらたまを手に入れた。まず、これのどこに惹かれたのか…ガチャのパッケージの写真である。

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この上半分を見ていただきたい。むにん、とつぶされたあざらしらたまに、あざらしらたまをむにん、と触る指。そして何か不満げなあざらしらたま。しかし、何をいうわけでもない。ふにふに、を表現するあざらしらたまに、ころころを表現する背景。ふにふに、ころころ。

 

指から、サイズ感をはかれる。手のひらにのるであろうミニサイズ。考えて見てほしい。昨今は小さいものが跋扈する世界なのだ。どんなものでも、小さいのは可愛い、愛すべきものだ、と思う。(私はミニチュアのガチャが最近たくさんあることだけで、それを勝手に考えているので、異論は認める。)

 

そして、名前。あざらしらたまという、あざらしとしらたまという駄洒落である。長いが、言いにくくもなく、むしろ親しみやすい、語感であり、響きがある。

 

ストラップや、ボールチェーンがあるでもなく、ただ、そこに置いておける、癒しのマスコットだ。しかも皿付きであざといことこの上ない。

 

こうしたものが、私の心を射止めた。発売されたら買おうと決心した。

 

そしてこのイチゴ味のあざらしらたまは私の期待を裏切ることなく、つるん、むにん、とした感触を味わわせたのだ。(しらたま、だけに)

 

ただ文句もある。上にかかっているソースの部分は触り心地があまりよろしくない。

 

けれど気に入ったのでしばらく、むにんむにんして過ごそうと思う。

 

 

 

期待なんか、捨てちまえよ

しばらく会わないと、妄想ばかりが先走る。あんなことをされたい。ああいうふうに言われたい。いろいろ、いろいろ。

 

でもやはりこうして会うと、妄想が打ち砕かれるのを感じた。ああ、やっぱり、あんな気弱な電話一本、よこしてくるような人だけど、別に私のことが特別とかそんなんじゃないのだ、と。

 

ちゃんと好きな人はいるし、自分の言葉に責任を持たない、いつもどおりのきみだ。さっきまできみと一緒にいたことなんて、本当だったのかなあ、と思う位、自宅のこの座椅子とこたつはあたたかくて、少し一眠りして夢でも見てたのかもしれないなあと思う。

 

ただ、ただ、がっかりしているのだ。何もなかった、ということに。期待なんか、しちゃいなかった。でも、「ホワイトデーは期待していて」ときみは私に言ったから。だから私はそれなりに期待してたのに。14日は、会わなかったから、LINEのひとつでも来るかと思ったら、まあ、来なくて、でもいつか、会った時何かあるんだろう、と期待は捨てずに持っていたよ。

 

でも、そんな期待はポイ捨てせざるを得なくなった。さっき、ご飯を一緒に食べた、お店の駐車場に、捨ててしまうしかなかった。何かあるかもしれないから、いつもの小さめの鞄じゃなくて、少し容量のある鞄にしようなんて、考えてたのが馬鹿みたいで、悲しかった。悲しい気持ちと怒りがごちゃ混ぜにされて、なんだかもう分からない。なんでこんなののこと、私はいつになっても忘れられなくて、あまつさえ、来年離れ離れになるということが、胸を締め付けるほどに辛いのか。毎晩のように、枕を涙で濡らす、その理由が、わたしのことなのにわたしが一番、分からない。どんなひとよりも、どんな異性と笑っていても、あなたが、ずっとずっと、一番、大切なひとだった、その理由がわからない。

 

なんにも言えないのが悔しいから、わたしはあなたに言った。「嘘、ついてないってあなたは言うけど。ついてるからね。嘘。」

 

あなたはきょとんとして、何のことだか、って顔をしている。うん、それでこそ、きみだよ。そういう、細かいことすっからかんに忘れるのがいつものきみ。どうせ、来月の誕生日なんか覚えてなかろうよ。昨年末ーーー私があなたの誕生日を祝ったときーーーに、私の誕生日を教えたけれど。どうせ、今年も忘れてるんでしょうね。まあ、別に、祝ってくれなくたって、どうってことないよ。きみ、私の彼氏でもなんでもないし。そう、友達、ただの友達ってやつ。

 

ただそういう細かいことをスルーされるたびに、ああ、私があなたにとって、もっと大事な人だったら、きちんと祝ってくれるんだろうな、とか。忘れ去られるような、そんな存在にしかなれなかったんだろうな、とか。

 

つまり、あなたにとって私はたいしたことのない奴なんだと実感させられるので、ひたすら悲しくなるのです。

 

いつかあなたが最初からわたしのために計画を立てて、どこかへ連れてってくれるような、そんな絶対にこない、いつかを夢に見続けて、はや1年と半年が、過ぎようとしています。きっとこれが、わたしでなく、あなたの、好きなひとだったら、きみは、一生懸命、デートコースを練るのだろうな。ちゃんと愛情表現をするんでしょうね、そんな存在に、なれるいつかは、こないのに、いつか来るんだなんて、いったいいつまで、信じ続けてるんでしょう。

 

期待なんか、捨てちまえよ。そんなの、とっくに分かってるのに、なんで、なんで、捨てることができないんだろう…

ファミチキに一途でありたかった

空腹を満たすのはいつもファミチキだった。揚げ鶏でもからあげクンでもなく、ファミチキだった。ファミチキじゃないといけないという食のこだわりがそこにあった。ふぁ、ファミチキください…という言葉にはどうしようもないこの空腹を助けてくださいという、懇願が含まれている。それは、揚げ鶏くださいとか、からあげクンくださいとか、他の惣菜の名前では出せない雰囲気なのだ。まさに、ファミチキでなければ出せない芸当なのだ。ひとはこれをファミチキ芸とよんだ。

 

空腹になるとファミチキの味を思い出した。ファミチキはいつもファミマに燦然と並んでいる。そんなファミチキを食べたいと思いつつも、足はすぐ近くのカーネルサンダースのもとを訪れる。ファミチキを想いながら、ケンタッキーを食べる。そのとき、ひとはどうしようもない責務に駆られた。ああファミチキよ、こんなわたしをどうかゆるしてくれ。こんどはおまえを必ず選ぶからね。

 

ファミチキは魔性だ。ファミチキにはひとを虜にする何かがあった。それが何かは、まだ筆者の知るところではないが、ファミリーマート、偉大なり。

 

 

 

 

さて、みなさん、今日はエイプリルフールですね。Googleマップパックマンが遊べたり、タニタがシャープにシャープがタニタに、といろんなところが嘘を楽しんでますからね、私も嘘ついてみようと思いまして、こちらの記事がそうなります。…この記事のどこが嘘なの?とか、常日頃から嘘抜かしてるのに何を今更、(日記カテゴリのエントリにはたいてい嘘や誇張が多少含まれます)とか、いろいろ仰りたいこと、山ほどあるかと思いますが、この記事のどこが嘘かと言いますと、ファミチキを想いながらケンタッキーを食べたくだりです。ファミチキを想いながら食べたのは日替わり定食であって、ケンタッキーじゃないです。

わざわざ解説したのは、自分以外誰も分からないと思ったからです。なんだよくだらんな、と思った方もいらっしゃることでしょう。ですが、このようなアホ記事を最後まで読んでくださったこと、心から感謝いたします。

 

 

進むこと怖れるなかれ

メールが届くのだ。毎日どっさりやってくる。そのうちひとつのメールが目に留まる。

「○○ 選考結果について」

選考結果のメールだ。さあどっちだ、と唸る。さてさて開いて出てきたものは…祈りである。ああ、またか。しかし、ここは今まで受けてきたお祈りと違って志望が高かったために立ち直るまで長かった。ショックを受けつつ頭は冷静だった。なぜ落ちたか。私は少し前のあの選考を思い出す。

 

もちろん面接とテストだったから、学力不足で落ちた可能性もゼロではないのだが、そうではない…と思った。いくつか思い当たるふしがあった。私が面接官ならあの対応をどう受け止めただろうか。Evernoteを開いて、思いつく限りの失敗原因を書き出して見た。

 

だが、頭は冷静だが、表情は不安定だ。気をつけていないと表情が崩れそうになる。危ない。たかだか落ちただけのことで何をショック受けてんだか。まだ始まったばかりではないかと自分を鼓舞する。もっとひどいことーーー例えばあの友人が、見知らぬお姉さんにもってかれるとかーーーを思い浮かべる。うん、引っ込んだ。そっちの方が、ずっといやだ。

 

失敗はいくつでもしていい。ただ、同じ失敗を二度繰り返してはならないのだ。この失敗は、かならず次の糧となる。無駄じゃない。だから、歩みを止めてはいけない。一番いけないのは、祈りを恐れて、挑戦しないことだから。