かきたまじる

駅メモ・リヴリー・ノベルゲームが好き

自分にはかっこよさそうに見えること

自分はなんだかかっこいいと思うのだけどもおそらく他人は「なに、それ?」と首をかしげそうな事柄について今日は書こうと思います。

まず、カタカナの言葉の伸ばす音をわざと書かないことです。意味がわかりにくいと思うので、実際に例をあげますね。ノート→ノオト こんな具合です。一つ前の日記タイトルはここからきてます。元のカタカナはチェーンメールです。チェーンがよく分からなくて、とりあえずエでいいかとチェエンメイルとなりました。
これ割と昔の本とかで見かける表記なんですが、若かりし頃の私はそれを見てはかっこいいと思ってこぞって自分の文章に取り入れました。たぶん。昔の文章にはその名残が見られます。

次に、よく分からないカタカナの言葉や、無駄に難しい言葉を使うことです。ここのキモは私が理解できていない難しいカタカナ言葉をさりげなく混ぜることにあります。なんだかそういう言葉を取り入れることによって、あたかもそれを知ってるような、要するに偉そうな気分に浸れるのです。さりげなく登場人物に村上春樹を読ませてみたり、登場人物にパラドキシカルなことを語らせてみたり、こういう具合にです。私は村上春樹をそこまで深くは読んでいないので語る筋合いもないし、パラドキシカルなんて意味全然分かりません。
知ったかぶりがしたいのです。

ただ、こういうことをする自分を冷めた目で見る自分もいるのです。「なに、それ、意味わかんないんだけど」特に二つ目の方なんて、意味も分かってないのにその言葉を使うのはリスクが高い。意味をわかっている人からしたら、「なんでこれがこの文脈にくるんだ?」と首をかしげることになるでしょう。あるいはつっこまれてたじろいでしまうでしょう。一つ目の方も、理由なく伸ばす音を書かないでいると妙な感じがします。

だから私はこのかっこいいと思っていることはできるだけ使わないようにしているのですが、まあ、たまにはいいじゃないかなぁと思うのです。しかし、使えるようにする術はあります。国語辞典を用意しましょう。
written by iHatenaSync