かきたまじる

駅メモ・リヴリー・ノベルゲームが好き

いつかこの鯉を思い出してきっと泣いてしまう

私がかつて通っていた小学校には庭園があって、小さな池があった。そこには青々と緑が茂っていて、真っ白いけれど少し汚れた、威風堂々たる佇まいをしている百葉箱がある。ちょっとした秘密基地のような、すてきなところなのだ。

さてそんな池の中には常に何匹かの鯉が泳いでいる。赤色だったり金色だったりいろんなのがいたなあ、とおぼろげな昔の記憶をひっばりだす。児童は食べきれなかったコッペパンを密かに持ち帰っては、ちぎって鯉にコッペパンを配っていて、鯉がそれに群がっている。

私はそれを横目で見るだけで、けしてコッペパン配りに参加しなかった。給食のコッペパンを勝手に持ち帰るという、いわゆるわるいことが、私にはできなかった。お腹が空いていなくても、味のないコッペパンの足しにできそうなジャムがなくて食べるのがつらくても、ちぎって口にコッペパンを押し込んだ。

鯉はコッペパンが好きなのだろうか?ちょうどいい味なんだろうか?だったら嫌な思いをしてまでコッペパンを食べ続ける意味は、はたしてあるのだろうか?味のないコッペパンが大嫌いな私より、コッペパンに嬉々として群がるあの鯉たちに、コッペパンをあげるべきではなかったのではないか?

考え始めると止まらない。もはやこのコッペパンは、私ではなく、あの鯉たちにあげるのが正解だったのだ、と私の中でそれが確立されてゆく。もう、コッペパンを密かに持ち帰ることはわるいことではなく、密かに持ち帰らないことこそが悪いことになっている。こんな私が鯉の代わりにコッペパンを食べることこそわるいことなのだ、と私の思考はねじ曲がる。

そうとなればやることはひとつで、その日の給食のコッペパンを食べずに袋の中に入れる。いつもあるべきものがそこにないのは落ち着かない気分だったが、鯉にこのコッペパンをあげなくてはならない…という、謎の義務感が私を突き動かしている。

放課後私は池にやってきた。鯉がいつものように泳いでいるのが見える。私は早速コッペパンをちぎって池に放り込んで見る。ぽちゃん、とコッペパンが池に落ちる。コッペパンを中心にして、波紋が広がる。鯉が沈みゆくコッペパンめざしてやってくる。ぱくっと鯉がコッペパンを飲み込んだ。

しずかな達成感が私の胸の奥に広がりつつあった。

そのとき後ろから肩を叩かれた。振り返ると先生だった。私は驚いてのけぞった。ふだん話さない先生に肩を叩かれるイコール悪いことをしてしまったという意識が蘇り、その瞬間、コッペパンを持ち帰ることイコールわるいことに戻り、私はとんでもない犯罪者に成ったかのような感じに支配された。
まだ少ししかちぎってない、ほとんど残ったコッペパンを後ろ手に隠しながら、どもりながら、なんですか、と問うた。

先生は言った。きょうからコッペパンや牛乳といった、給食で食べられなかったものを持ち帰るのは衛生上良くないから、禁止されてしまったんだよ、と。

禁止。
わるいことをしたという、その衝撃は確固たる自信を持って私の前に現れた。私はそれに勝てなくて、ぽろぽろと泣いた。
急に泣き出した私を慰めるかのように頭を撫でる先生。

私はコッペパンをぎゅうと握りしめた。コッペパンはもうぺちゃんで、そのぺちゃんこのコッペパンを先生が渡すように言い、私は黙ってそれを渡した。少しの注意を受けた後に、私は家に帰るように言われた。

全て終わって、池を見ると、何もなかったかのように鯉が泳いでいて、むなしくて、また、泣いた。

大人になっても私は鯉を見るとこのことを思い出す。でも最近はめっきり、鯉が泳いでいるところを私は見たことがない。
written by iHatenaSync