かきたまじる

駅メモ・リヴリー・ノベルゲームが好き

私は、文を書くのが得意じゃなかった

私は小さい頃から活字に親しんできました。読書好きで眼鏡をかけ、暇さえあれば、本読んでました。まさに絵に描いたような文学少女だったのです。でも、私は今更気づきました。私は本を読むのが好きなのではなかったんだと。暇をつぶすために、本を読んでいただけなんだと。別に極端な本嫌いではないですし、面白そうな本見つけたら、読みますけど、根っからの本好きじゃなかったのです。当時の私には、友達があまりいませんでした。引っ込み思案な性格で、大人しい学生でした。そんな私は、本を読む以外に休み時間のつぶし方を知りませんでした。みんなと外で遊ぶとか、友達とお喋りするとか、普通ならある、そういう選択肢が、頭になかったのです。だから本ばかり読んできました。おかげさまで本好きだとこのウン年間勘違いしてきました。毎年100冊、小説ばかりだけど読んでました。新聞もよく読んでまして、編集手帳に憧れていました。(読売新聞でした)

 

ようやくわかったのは、大学生になってからでした。私はスマートフォンを手に入れたのです。スマートフォンはすごいのです。これひとつで、電話、メール、ツイッター、インターネット、ゲーム、…ありとあらゆることができるのです。かくして、私はようやく、暇な時にする、読書以外の選択肢を手に入れたのでした。それはスマホゲームです。ゲームを禁止されてきた家庭で育った私には、そうしたものへの憧れが人一倍強かったんでしょうね、RPGをはじめとして、いろんなゲームに入れ込んで行きました。初めてやったRPG、それはドラクエでもファイナルファンタジーでもクロノ・トリガーでもなく、そんな有名なものじゃないですが、マシンナイトでした。ケムコRPGなんですが、私はこれをきっかけに、RPG好きになっていきました。だから、なんだろ、フローラビアンカ戦争とか、ぼうけんのしょがきえてしまいましたとか、いろいろ、あるある、があるんですが、そうしたものに共感できないのが、ちょっと寂しいのですが、前者2つにはあまり手を出せてません。RPGといえば、これ、なのに。

 

それからはもう、簡単ですよね、読書以外の世界を知った私は大海原に飛び出しました。本なんか忘れたとばかり、読まなくなり、新聞も、一人暮らしを始めたので、購読しなくなり、読まなくなりました。

 

文章書くのも同じでした。私は文章を書くのが得意だと思い込んでいました。そうじゃなかった。これには今やっと気づきました。今さっき、ある人へ手紙を書いていました。文章書くの得意だから、文章でなら、本音が言えるんじゃないかって。でも、違ったんです。私の鉛筆、もといシャープペンシルは、何度も、何度も止まりました。今こうやってブログを書くように、なめらかに、滑りませんでした。何故か。それは、特定の相手に向けているからです。「手紙を読む人」が、いるのです。「その人は、これを読んだら、どう思うのか」「そしてそれは、私にどう関わってくるか」そうしたことを考えては、手が止まるのでした。そうか、私が得意なのは、文章を、小説を、書くことではない。自分の気持ちを文にすることだ。そして、絵にすること、である。

 

ここには載せてないが、誌上かきたまじるという名前の日記帳がある。無印の4コマ漫画ノートだ。何かあるたびにそれに書いている。

 

昔はよく、二次創作をしていた。コナンにはまり、キッドを描き、パズドラにはまり、ヘルメスを描き、魔王と歌姫のカップリングを死ぬほど愛していた、そして、今は、二次創作はあまりしていない。アナザーエデンの創作を少ししたくらいだ。

 

やる気が出ないのだ。一次創作も、どちらもしてない。やる気が出ないのだ。私は書きたくなったら書く。そのモチベーションがすべて。今の私には現実だけで精一杯で、虚構を生み出す活力はない。妄想を、具現化できるだけの体力、それが、もうない。今、小説を書けば。書いたならば。それは。悲恋モノしかかけないし、かきたくもない。完璧にモチベーションが消え失せた。好きだったのになあ。文も、絵も、書くの、大好きだったんだけどなあ。